書き途中 少しずつ進めていく 多分 開始2021/6/15 常世。 そこは、死後の世界。 すべての魂が集まり、やがて輪廻の大渦を通るまでの間過ごす、仮初の宿り木。 その常世の一角にアコードの王国である常夜の国がある。 アコードの箱庭、死者たちの楽園(自称)である。 アコード達がかつて立ち上げた、ポルポトースという国を模して造られた場所。 その模造の王国の、東の外れ、名もなき湖の上でゲッツは目覚めた。 こころの世界から、常夜の国へ。 ゲッツは、ゲッツとして戻ってきた。 視界をめぐらすと、大理石で作られたエンディミオンの墓標が見える。 胸を満たす少しの寂寥と喪失感。 (……。) 湖上から湖畔へ、ふわふわとホバーしながら進んでいく。 湖岸に、3人の人影があった。 ひと際大きい、岩石を削り出してヒトガタに整えたかのような男が、ドス。 ホモスと呼ばれる種族の、もっとも偉大な戦士にして、大地の申し子とも呼ばれる男。 元々彼は年老いた母と二人、農夫として暮らしていた。 誰よりも働き、誰よりも大地を愛した。 ドスは満ち足りていた、戦火が大地を覆うまでは。 母を守るために農具を武器と変え、羅刹と化して戦った。 しかし今、その顔は、まるで菩薩のように優しい。 口元は常に、アルカイックスマイルをたたえ、背中にはその優し気な風貌にそぐわない ガイアソードと呼ばれる大ぶりの石剣を背負っている。 この剣と呼ぶのもおこがましい超質量の鈍器は、凄まじい力を宿した唯一無二のもの。 その力の源泉はかつて、土の巫女ガイアが十万億土へ旅立つ際に捨てた権能からきている。 ドスの右隣りに一人のホモスが立っている。 ドスの頭2つ分低い背丈だが、ホモスの平均を超える上背。 濡れ鴉のような艶のある黒色の長髪。 鍛え抜かれた恵体を彩るのは、セクシーな、鋲の打たれたラバースーツ。 宗教国家【愛の国】の最高指導者、大僧正クリムトだ。 不義を働き、消えた母。 優しかったが、彼を愛さなかった父。 かつて、誰よりも愛を求めて、クリムトは愛の国の門をたたいた。 愛ゆえに、人は苦しまなければならぬ。 愛ゆえに、人は悲しまなければならぬ。 それでもクリムトは、愛を捨てなかった。 ひとは、誰かになれる。 はぐれ者だって、なれるはずだ。 それこそ聖者にだって。 それを己で証明する! 見る者を虜にする母譲りの妖しい美貌。 しかし、その内面は誰よりも高潔な聖職者なのだ。 彼は常に探し求めている、はぐれ者が正道を歩める社会を。 彼らの3歩後ろでひっそりと佇むのは、近接最強としめやかに噂される、魔剣士ジョンだ。 彼はフォースの扱いに長けたマジナ人で、その中でも戦闘に特化したタイプだ。 魔剣と、魔県に取り込まれた兄と、妻と子の魂の力を借りて戦う。 あの日、失われた親愛なる命。 自分が奪い、魔剣に吸わせた命。 その日からジョンは、心が凪いでいた。 現実は色を失って、セピア色と化した世界に自分と死んだ家族だけが存在していた。 だが、ゲッツと出会い、運命の輪は廻りだした。 マジナ族に伝わる救世主伝説と約束の地。 『その者、フォースを従いて野蛮の園に降り立つべし。 失われし五族の絆を結び、ついに人々を約束の地に導かん。』 ジョンは、ゲッツに救世主の資格を見た、だからここにいる。 セピアの世界が、再び色づき始めた。 クリムトがゲッツに手を振った。 「おーい!」 ゲッツは手を振り返すと、湖岸に降り立った。 3人が駆け寄り、ゲッツの無事を確認する。 「どうなったんだ。」 3人を代表して、ドスがゲッツに尋ねた。 ゲッツは天を仰いで答えた。 「色々あったよ。」 ゲッツ達は現状の確認を終えた。 結局やることは変わらない。 常夜の王を倒す。 常夜の門を閉める。 そこから先は流れで。 それだけだ。 「行こう。」 4人は歩き出した。 失われたポルポトースの大地を踏みしめる。 原始的な四枚ばねの風車、丘陵を黄金一色に染め上げる小麦畑。 ゲッツにとってどこか懐かしい、魂が覚えている大地。 ガリが、スペーストルーパー達が、そしてアコードがかつて夢見た理想郷。 (失われた国、死者の国、黄昏の大地、……そして死のイデア、常夜の王。) (ここは、すべてが死んでいる。……それに。) ゲッツの脳裏を禿げ上がった前頭部のナイスミドルがよぎる。 ドラグーンのステルメンだ。 戦乱ですべてを失った男。 それでも槍を携え立ち上がり、乱世を終わらせるため蒼天の白き神の座を目指し歩き出す。 この世を定めたのが神なら、この乱世の時代を定めたのもまた神。 神と謁見し、なぜ戦乱は止まぬのか問う。 その答えが、納得のいかぬものであるのなら。 たとえ相手が神であろうとも、鍛えた槍技で貫くまで。 志を同じくするエルヴン族のニグ、料理人のキャロと共に歩いて、歩いて、歩き続けた。 美食の壁を、キャロが命を投げうってこしらえた神饌料理「ゴッデス」でこじ開け。 空間そのものが歪んだ、狂気の山を踏破し。 ニグと二人、ついに山頂へたどり着いた。 そこで、神の如き力を持った超人と出会う。 超人は、二人に力と知識を与えた。 ドラゴンの、調停と審判の力。 そして、知識。 この世界のことわりが、神が人に強いた罰であることを二人は知る。 以来、4千年。 ステルメンは、ドラグーンとなって、時に戦乱を煽り、多くの命を奪った。 超人すら超える、創造主の存在。 あの日打ち立てた誓いは、大いなる現実の前に砕け散った。 だがいつか、許される日が必ず来ると信じて。 ステルメンは体制側についた。 だが、その日を迎えることなく、ステルメンは死んだ。 その魂は、常世へ向かい、そこで常夜の国にとらわれた。 ステルメンは、ゲッツの夢枕に立ち、常世はアコードの狂気にせき止められ、 輪廻の渦が機能していないことを告げる。 (…先生は、死んだ者たちはまだどこかにいるはず。) だがゲッツ達は、未だ自分たち以外の誰かと会うことができないでいた。 (静かすぎる。) 常夜の国に足を踏み入れた時に聞いた、鳥の鳴き声や風のさざめき、水のせせらぎが一切聞こえない。 あるのは、黄昏と静寂に満ちたポルポトースの大地。 そして、自分たち。 ゲッツは、あまりの静けさのためか、耳鳴りを覚えた。 キィィィィィン。 キィィィィィィン。 へくちっ 今のは、ジョンのくしゃみだ。 それを皮切りに、4人は思い思いにしゃべりだした。 「愛の国で食べた、うな重は絶品だった。」 「ふわふわで、たれは甘辛くて、ジューシー。」 「ただ、ご飯がちょっとな……。」 ドスは食べ物の話ばかりする。 「それって、ふなど屋のうな重?」 ゲッツが乗った。 「ああ、そんな名前だったかな。3人前くらい食べたよ。」 「実は、ドスさんが食ってるところに俺もいたんだ!」 あの時、ゲッツはミナモと一緒にうな重を食っていた。 そこにドスが現れて、飯を食っていたのだった。 交流はなかった、ただ同じ空間にいただけだ。 「へぇ! いや、なんというか縁だな。」 「本当に……。」 あの時は、こんなことになるなんて思ってもみなかった。 ドスに対するあこがれは今も変わらない。 ただ、ぬぐい難い劣等感はすでにない。 ゲッツは、自分が何者なのか、フェアリーや、彼と関わってきた者たちの助けもあり すでに解を得ていた。 ゲッツはあの日食べたうな重の味とともに感傷をかみしめた。 ふわふわで、たれは甘辛くて、ジューシー。 まるで人生みたいだ、なんてわけのわからないことを考えながら。 「そういえば、愛の国でうな重を食べることになったのも、 お坊様がとんこつ入りのラーメンをうっかり食べさせられちゃったからでしたね。」 ゲッツがクリムトに振った。 クリムトは破顔して、頭を掻きつつ答えた。 「あれには参ったよ。」 クリムトは、ネミリとミナモの料理対決の際、審査員を務めた。 そこで、ネミリのカレーラーメンを食べたのだが、スープの素材に とんこつがあったことが問題になり、愛の国の憲兵隊みたいなのに引っ立てられた。 それに責任を感じたネミリが、ゲッツ達と共に愛の国へ行ったのがこの奇妙な縁の始まりだった。 「まさか、豚があんなに美味しいとは。」 「そっちかあ〜〜。」 2021/6/18 クリムトのジョークだ。 みんな笑った。 こういう時、たいして面白くなくても笑うのが社会人のマナーなのだ。 マナー講師もそう仰っている。 「でも、どうして豚を食っちゃいけないんだろうな。」 ドスが誰にともなく呟くと、クリムトがそれを拾った。 「聖アコール……、初代様が豚を食すことを、とてもお嫌いになったからだよ。」 聖人アコール。 彼は、愛は世界を救うをスローガンに、社会からはぐれた棄民や性倒錯者をまとめあげ、ついには国を興したという。 彼の残した言葉は、後に彼の弟子たちが編纂し、教えという形で世に広めた。 教えは、ホモス社会の道徳を担うものとして今日まで継承されている。 彼の残した教えは、ロジカルだ。 そのロジカルな教えの中で、ひと際イラショナルな教えがある。 「豚の血肉を取り込んではいけない。」 なぜ豚肉を食べてはいけないのか。 今日も教え学の学者達が、豚肉はよく熱しないと当たるからだとか もっともらしい理屈をこねくりまわしているが、その答えはもう、わからない。 「こういうのって案外、つまらない理由だったりするんだよな。」(ド) 「豚肉が嫌いとか?」(ゲ) 「豚が好きで、食べるのは倫理的に許せないとか。」(ジ) 各々勝手なことを言うものだから、クリムトは苦笑いだ。 「初代様の御心はもう誰にもわからないけれど。」 「拙僧は、この教えが好きなんだよ。」 食べてしまった自分が言うのもなんだけれど、とクリムトは続けた。 「ここに聖者の、初代様の人間味を感じるんだ。」 蜂は、非常に合理的な集団生活を営む。 そこに個は存在せず、女王ですら生殖能力を失えば集団から排除される。 徹底した合理、そこに一切の情はない。 社会を構築する生物であれば、これこそが正しい姿なのではないだろうか。 「蜂からすれば、人間は、矛盾した生き物だろう。」 「集団社会を重んじながらも、時に集団より個を優先する。」 「それが間違った選択だとしても……、でもそれこそが人間らしさなんだと拙僧は思う。」 クリムトの弁はやまない。 いつしか皆聞き入っていた。 「豚の血肉を取り込んではいけない、この教えには血が通っている気がする。」 「初代様の、実体験から来ているもののような。」 完璧なはずの聖人が、ふと見せた人間臭さ。 そこがたまらない、とクリムトは結んだ。 2021/6/25 ジョンは基本的に相槌を打つくらいだが、時折ぽつぽつと喋る時がある。 クリムトが話し終えると、ついにジョンが重い口を開いた。 「人間は、矛盾した生き物か。」 キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!! 「俺は、その矛盾に悩んできたんだ。」 ジョンが何やら語りだしたので、ゲッツ達は居住まいを正した。 これから語られることは、冗談などではない。 きっと、ジョンにとっての重要な話であろうから。 「相手の人となりを測るとき、あんたらはどこを見る?」 ジョンは誰にともなく言った。 「俺は、手だな。手は、その人間の行動と結果の集大成だ。」 ドスが答えた、続いてクリムトが答える。 「拙僧は目だね、目には感情が籠る。目は口ほどに物を言うって言うじゃない?」 ゲッツは、答えられなかった。人を見る目がまだ養われていないからだ。 「そうか、人によっては目を視るだろう、手を視るのもいい。」 「だが、俺達マジナ人は、フォースを視るんだ。」 「フォースの流れはとても素直だからな。」 皆黙ってジョンの話を聞いていた。 とりとめのない、誰に聞かせるでもない、まるで独り言のような。 そんな調子で、ジョンは淡々としゃべり続ける。 その顔はどこか痛みを抱えているように、ゲッツには見えた。 ジョンは黙りこくった。 歩く、歩く、歩く。 ジョンは黙って先頭を歩いている。 歩く、歩く、歩く。 歩く、歩く、歩く。歩く、歩く、歩く。 歩く、歩く、歩く。歩く、歩く、歩く。歩く、歩く、歩く。 「昔、兄を斬った。」 ドスが、クリムトが瞠目する気配を背中に感じながら、ゲッツは黙々と歩く。 ゲッツは、半身との融合により、そのことを知っていた。 「マジナ人の伝承に、救世主伝説というものがある。」 「ある日、その救世主が現れた。」 「…いい男だった、何より目が良い。艱難辛苦を乗り越えようとする男の目だった。」 「手は分厚く傷だらけで、苦労を厭わず常に前に出ていく男であることが伺えた。」 「そして、何よりもあのフォース……果てしなく続く空のようだった。」 「俺達は、時がきたのだと悟った。頭ではなく、魂が理解したんだ。」 「今こそ、約束の地へ向かう時なのだと。」 俺達は、熱狂の渦の中にいた。 ジョンはそう言うと、自嘲気味に笑った。 2021/7/3 「その男こそが、魔国王メシアだ。」 魔国王メシア、ゲッツの半身であったガリの、世を忍ぶ狩りの姿だ。 戦国世界ファンタジーランドの一連の動乱は、メシアがマジナ人を従えて 近隣諸国に侵攻を開始したところから始まった。 全ては、この世界に再び生まれた自分の半身を回収し真なるファイナルフォースになるためだ。 彼は、ホモス以外の種族をまとめ上げ、ゲッツが探知の網にかかるのを待った。 先にゲッツを見つけたのは、常夜の王アコードだった。 アコードは、化身をゲッツの生家のあったシュワナ村に向かわせたが、アクシデントにより失敗する。 その動きにより、メシアはついにゲッツを補足し、自らの軍門に下ったドラグーンの片割れに回収に向かわせた。 しかし、そこで予期せぬ問題が発生した。 何の因果か幼きゲッツの傍には、かつてヌペトルゥに戦いを挑み、アスラ銀河を荒廃させた『天に牙剥く狼』の末裔、 シリウスがいたのだ。 シリウスはドラグーンを撃退し、やがてゲッツを置いて神の山へ去った。 その後彼は、狂った時間流と歪んだ空間の神の山を踏破し、世界門の守護者である 超人すら倒すが、そこから先は行方が知れない。 話を元に戻す。 「メシアの話す言葉の一つ一つが、俺達の胸を打った。」 「俺は、はやり病で妻を亡くした、おそろしい伝染病でな、俺が介錯した。」 沈黙。 「毎日苦しくてな、会いたくて会いたくて震える……、そのこわばった心がメシアの声を聴くたびにほぐれていく心地だった。」 「もはや疑いようもない、彼は救世主で、俺達は彼に奉仕するために生まれたのだと確信した。」 だが、とジョンは言葉を続け、顔を歪ませた。 「兄は違った、兄は彼を救世主と認めなかった。そればかりか……。」 ジョンの兄は、幼いながらもマジナ人最強の戦士で、聖剣ニチダイサンコーの所持者だった。 こころ正しき者、揺るがぬ正義をもつものしか扱えないその剣をもって、彼はメシアに斬りかかったのだった。 ジョンは、それを阻止し、兄を斬った。 「兄は、ニチダイサンコーを最後まで扱えていた。」 あの日ジョンは、大地に突き立てられたニチダイサンコーに手を伸ばした。 触れた指先が弾かれ、剣をつかむことはできなかった。 「……。」 兄が乱心の結果ではなく、こころ正しき者のままメシアに斬りかかったのなら。 その思いが兄を失ったジョンの心に重くのしかかった。 何かが矛盾していると感じた。 (あったのだろうさ……狂人の正義が。) 族長が、悲し気に呟いた言葉が、ジョンの胸中にリフレーンする。 「兄のフォースは、乱れちゃいなかった。一本気で、己の正しさをこれっぽっちも疑っちゃいなかった。」 「俺はメシアを救世主と思った、兄は、違うという。こころ正しきものが違うと。」 「俺は集落の安寧のため、妻を斬った。兄ならそうするだろうから。」 「俺は、兄のようになりたかったんだ。」 「だが、あの日から俺は、なんだかわからなくなっちまった。何をしてもフラットで、喜びも悲しみもどこかぼんやりしていて。」 「気づけば、群れからはぐれていた……、群れからはぐれた人間は、もう死ぬしかない。」 「だが、運が良かった。人の縁に恵まれた。」 ジョンは微笑んだ。 「そしてその縁が、ゲッツ、お前と引き合わせてくれた。」 「最初は、弱っちい奴だと思った。だが、お前は短い間にどんどん成長していった。そしてエビルワームを倒した時俺は見たんだ。」 「お前のフォースが、メシアにも比肩するほど莫大なものだとな。」 ジョンは再び黙り込んだ。 ドスも、クリムトも、ゲッツも何も言わない。 ジョンがまだ、何か大事なことを言おうとしていると感じていたからだ。 黄昏に染まる大地を黙々と歩く。 感傷的になる風景だった。 ジョンがこんな話をするのは、この風景が、普段より彼を感傷的にさせているせいもあるのかもしれない。 「…結局誰も間違っちゃいなかったんだろう。メシアは、ゲッツの半身だった。」 「だが兄は、俺達よりなにか深い部分でメシアを見たんだ……、現に残ったのはゲッツ、お前だった。」 そして、ジョンはにっこりと笑って言った。 「今なら、兄の気持ちがわかる気がする、メシアとお前、その違いが。」 それこそが彼の長年探し求めていた彼なりの答えだったのだろう。顔の険が取れ、年相応の顔になっている。 右腰に吊るされた聖剣ニチダイサンコーが淡く輝いた。 ジョンは愛し気に左腰に吊るされた魔剣アイラビューへ触れた。 「迷いは晴れた、あとは一剣あるのみ。」 2021/7/4 やがて、勾配を上りきった先に白い壁面が見えてくる。 石灰モルタルで造形された高さ5メートル、厚さ4メートルほどの外壁は、外敵の侵入を防ぐものというよりは ここより先は人の領域と示すための線引きとして機能していた。 壁の上には、植え込みが設置されており、ベンチが等間隔に置かれている。 この都市に住む民が憩う遊歩道といった風情だ、実際にその通りに運用されていたのだろう。 4人は、跳躍して壁を乗り越える。 外壁と同色の、モルタル造形の建物が壁の内側に並び、地面を石畳が覆っている。 王城を中心に放射状に広がる5つの道路は、空から見ればきっと ヒトデのように見えただろう。 そのヒトデの触手を貫くように、環状道路が走り、すべての道を繋げていた。 王都ステレート、アコードのデザインした行政都市だ。 ゲッツは王城を仰ぎ見た。 夕日の照り返しを受けて、白い大理石で造られた宮殿は、橙色に染められていた。 この都市は徹底して白を基調にしている。 アコードがそうデザインしたからだ。 (奴は、必ずあそこにいる。) 王城ステレート、その正体は銀河帝国軍の軍艦【ナルニア】だ。 全長2キロメートル、ナノマシンによる自己修復で、中破程度の損傷は一月もあれば完全に修復してしまう。 4つの砲門から放たれる撃力は、惑星破壊には及ばずとも地表をフラットにするぐらいの威力がある、連発はできないが。 周囲の環境に擬態する機能があり、白い大理石で造られたコロニアル風の宮殿は、その擬態機能により描写されたまやかしである。 コマンダー(大隊長)を艦長とする軍艦の中でも機動力に優れた帝国初期の名艦で、この白い巨大な船を、 アコードはいたく気に入っていた。 (奴は、白色が好きだった、病的なほどに。) 都市を白色で統一するのはアコードの案だった。 白は汚れが目立つから、やめようとみんながやんわり否定したのを押し切っての強行採用だ。 案の定すぐに汚れてしまって、景観を維持するための部署を作って余計な歳費を毎周期計上することになった。 この都市は、微に入り細に入りアコードの手が加わっている。 (悔しいが奴は、天才だ。) 建築、料理、数学、幾何学、生理学、組織学、解剖学、美術解剖学、人体解剖学、動物解剖学、植物解剖学、博物学、動物学、植物学、鉱物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、化学、光学、力学、工学、生命工学、航空力学、航空工学、材料工学、土木工学、軍事工学、河川工学、法学、政治学、経営学、社会学、教育学、哲学、言語学、考古学、心理学、医学、薬学、農学、なろう小説執筆等、アコードの知識や技術は多岐にわたる。 現地人の言語をAIの力も借りてだが、2日で解析し、流暢に喋って見せた時は、皆度肝を抜かされていた。 ガリの野望の下地は、すべてアコードが整えたようなものだ。 アコードがいなければ、この国は興らなかっただろう。 ついには、この船のジェネレーターが半永久的に生み出す莫大なエネルギーを使って、空中都市を作ってしまった。 戦国世界ファンタジーランド、その大地こそが亡国ポルポトースの首都にして軍艦ナルニアの外殻なのだ。 そして、ここは王都がまだ空中都市になる前の初期の姿だ。 アコードがまだおかしくなる前、ガリとスペーストルーパー達、そして現地人の手で丘陵を開拓し、治水や灌漑を 行い、入植していく初期の時代。 アコードとガリ、二人で額を突き合わして、都市開発の構想を練った。 つまらない冗談や辛い労働の愚痴、明日への希望を時には夜が明けるまで交し合ったものだ。 辛く、そして楽しい時代だった。 (どうして、その時代に、エンディミオンの墓があるんだろうか……。) 一瞬そんな考えがよぎったが、ゲッツはすぐに忘れた。 何しろ狂人のやることなのだから、理屈などないのだと心に蓋をして。 無人の都市を4人は歩く。 この時代、都市には5千人のスペーストルーパーと4万人ほどの現地人がいたが、人口は日々増加の一途を辿っていた。 周辺部族は、天から訪れたガリたちに続々と恭順の意を示し、豊かさや安寧を求めて人が押し寄せた。 都市には昼も夜もなく、人が動き続ける不夜城のようなにぎやかさがあった。 だが、ここにそのような人の営みはない。 巨人がこしらえたジオラマのような、無機質な静寂で満たされている。 「俺は、いくつもの廃墟になった町や都市を見てきたが、ここまで静かじゃなかった。」 ドスが足を止めて呟くと、ジョンも同意した。 「ああ、それにまるで生活感がない。」 建物の中は、一通りの家具や雑貨が置かれているが、どれも使われたような形跡がなく、 病的なほどに整然としていた。 それは、このジオラマを作った者の癖、或いは想像力の限界を示しているようであった。 「これは、レガシーなのかもしれない。」 クリムトがそう言い、直後なんだかバツの悪そうな顔をした。 独り言をうっかり呟いて、しかもそれが割と大きい声だったことに気づいた時のような顔だ。 (レガシー、アコードにとっての。そうかもしれない。) (モニュメントなんだ、アコードの心を慰めるための。ここはただ、それだけの場所なんだ。) 興国から亡国を経て、さらに長い年月が過ぎ去った。 それだけ長い月日があっても、アコードは作れなかったのだ、これ以上の何かを。 人は老いていく中で、過去の出来事を忘却していく。 それは、苦しみの多い人間にとって大いなる福音だ。 忘れてしまえば、もう苦しむことはない。 老いてしまえば、怒りを維持することもできない。 時が、諦めが、すべてを押し流してくれる。 だが、ガリもアコードも莫大なフォースを手にしたことで、時の流れから外れてしまった。 精神は肉体に引っ張られる。 いつまでも若いまま、忘れることができないまま、ここまで来てしまったのだろう。 ゲッツはなんだか無性に悲しくなった。 (人間って、なんて脆い生き物なんだろう。なんて苦しい生き物なんだろう。) (もう、終わらせなくては。) ゲッツは、頭を振って思考を打ち切ると、3人に向かって言った。 「行こう、奴はきっと王城にいる。」 メインストリートを上っていく。 かつて市が立ち、人混みでにぎわっていた通りも今は閑散とし、チリ一つ落ちていないような状況だ。 2021/7/10 「常夜の国では、戦いに次ぐ戦いになると思っていたけど。」 クリムトが眉を八の字にしながら続ける。 「拍子抜けだなあ。いや、油断してるわけじゃないけどね?」 確かにと、ゲッツは思った。 門をくぐった先にはあのキショい巨大なカタツムリ「ヨモツシコメ」と、キショい老婆顔のでかい鳥「告死鳥」と、 キショいヒトガタの化物「ヨモツイクサ」と、そんなにキショくない3人の魔将が待ち構えていると思っていた。 魔将……、常夜の王に使える4体の鬼だ。 土の魔将リズミガン、水の魔将ヒトツメニュウドウ、風の魔将イアハ、火の魔将レギオンの4体。 土の魔将リズミガンのことはよく知らないが、風の魔将とは差しで戦った。 風の魔将イアハ。 古代ファンタジーランドに実在した、狂気の剣王。 恐るべき剣の使い手だった。 ステルメンをして、天才と言わしめた自分の剣を軽々といなし、叩き込んだ必殺剣も達人の受け流し、舞葉に逸らされ 効果がなかった。 (だが、ジョンさんなら勝てる。無想剣生に斬れないものはない。) イアハが現れたら、戦うのはジョンになるだろう。 人に頼ることは悪いことではない。 できることとできないこと、それらを見極めて、適材適所を心がける。 絶対に負けられない戦いであればなおさらだ。 決して言い訳ではないのだ。 そうゲッツは思った。 火の魔将とも戦った。 火の魔将レギオン、その正体はかつてキングメーカーと呼ばれた傭兵団長で、常夜の王に誘われ鬼に変生した。 ゲッツの父親で、人間だったころはボトムと名乗っていた。 名も知らぬ盆地での戦いで父と遭遇し、剣を交えた。 その結果右手を失ったが、ゲッツは負けたとは思っていない。 (戦い自体は俺が優勢だった。技の性質を見抜けなかっただけだ、次は勝つ!) 去り際のガリの言葉を思い出す。 (ガリの言うとおりであるならば、決着は、俺の手で付けるべきだろう。) 望むところだ。 そうゲッツは思った。 水の魔将ヒトツメニュウドウ。 死せる水の集合体で、常夜の王の化身だ。 常夜の王=アコード≒水の魔将というとてもわかりにくい構造となっている。 もう倒した。 結局誰とも戦うことがないまま、スムーズに王城にたどり着いた。 門は開放されており、出入り自由であり、彼らの行く手を遮るものは何もない。 その事実に、当初は困惑していたゲッツだったが、時が経つにつれイケイケドンドンになっていた。 何せ面子がすごい、皆各界を代表する戦士だ。 すごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。 風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。 中途半端はやめよう、とにかく最後まで行ってやろうじゃん。 常夜の門の向こうには沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。 信じよう。そしてともに戦おう。 敵や邪魔は入るだろうけど、絶対に流されるなよ。 ゲッツは胸中を満たす謎の熱さに背中を押され、いつしか駆けだしていた。 「待て、勇気と蛮勇をはき違えるな!」 後ろで誰かが何かを叫んでいたが、聞こえないね。 内開きに開放された正面の門を潜り、完璧に管理された造花の庭園を見向きもせずに一直線に駆け抜ける、 眼前にアイボリー色の玄関ドアが見えてきた、ゲッツは右肩を前にもってきて、左手で右肘を抑えた。 ガリ直伝の日大タックルの姿勢をとる。 丹田で、フォースを回転させ、勢いよく全身に循環させた。 チャージ、完了。 直後、激突した。 戦闘力1800フォースのゲッツのフルパワー、その運動エネルギーは1000万ジュールを超える。 そのエネルギーが、玄関ドアと正面衝突すれば、ドアが砕け散るのは当然といえる。 ドアの残骸は、黒い泥のような物体となって、地面に染み入るように消えた。 常夜の王と同じ黒い泥、やはりここは、アコードの体内なのだ。 一部始終を見たゲッツはそう思うも、躊躇することなく城内に侵入した。 器物損壊罪と建造物侵入罪、両罪合わせて観念的競合になるか牽連犯になるのかは専門家の意見が待たれるところだ。 玄関を抜けると、中はバルコニーになっていた。 何を言っているかわからないと思うが、実際そうなっていた。 ゲッツの記憶では、玄関の先は1階から3階まで吹き抜けのホールになっていて、 正面には、オペラ俳優が歌ったり踊ったりゆっくりと降りてきたりしそうな階段があったはずだ。 それがどういうわけか、ゲッツの眼前には白い、装飾の施された手すりがあった。 中に入ったと思ったら、外に出ていた。 三方を白壁に囲まれ、眼下には数百平米ほどの広さの中庭がある。 慌てて後ろを振り返ると、異常に長い渡り廊下が果てしなく続いていた。 (神の山のような、発狂空間になっている!?) しまった、罠だったかと後悔した時にはもう遅い。 分断されてしまった、ゲッツが頭を抱えた時だった。 鈴鳴りのような風切り音が聞こえたかと思うと、ゲッツの後方にあった空間が四方に切裂かれた。 斬撃が繋げた縦横2メートルほどの隙間からジョン達が飛び込んでくる。 ジョンが夢想剣生で発狂空間を斬り、ゲッツのいる空間へ道を繋げたのだ。 考えるな、感じろ。 「君はとても迂闊なことをした、それはわかるね?」 数分後、ゲッツはホーリークロスを着装し、完全武装状態のクリムトに説教を受けていた。 説教とは、神仏の教えを説き聞かせること、道理を語り聞かせること、訓戒すること。それをあざけっていう語。 親や目上の人間に説教されたことはあっても、本職から説教されたことのある人間はそうはいないだろう。 余談であるが、私は寺の住職に説教を受けたことがある。 あれは幼少のみぎり、どなたかの法事のため、どこぞのお寺、あれは天台宗だったかなあ? で、住職の念仏を聞いている時だった。 住職の唱える念仏のリズムが面白くて、私は弟と二人で爆笑してしまい、寺からつまみ出されたのだ。 その後、母と一緒に住職に謝りに行ったのだが、私の将来を心配してくれた住職が 良かれと思って説教をしてくれ、毎日般若心経を唱えなさいと諭してくれたのだ。 おかげで私は今でも般若心経を、途中まで諳んじることができる。 閑話休題。 ゲッツはしゅんとして体を小さくしていた。 降ってわいたような万能感に突き動かされての軽率な行動である。 その結果、危うく分断されるところだった。 それを見てドスが大笑いしている。 「大僧正さま、その辺で、若いやつのすることです。仕方ねえや。」 「もう反省してるよな?」 ドスが笑いながらとりなした、ジョンも苦笑している。 「はい。」 「はいじゃないよ。」 ゲッツはさらに小さくなった。 2021/7/13 城内は、空間が歪んでいた。 4人は、とりあえずバルコニーから中庭に降りる。 ここはエンディミオンが、ヌペトルゥに捕食された場所だ。 ゲッツは、不快感を覚えながら中庭を歩く。 すると、周囲の風景が、まるで蜃気楼のように歪んだ。 20メートルほど先にあった物置小屋が、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいていたかと思うと、縦に伸びていく。 隣を歩いていたドスが、突如彼方へ吹き飛んでいった。 「おおおおおおおおおおおおおおおおなああああんんんんんんだあああああああああああこおおおおおおれえええええ」 間延びしたドスの声が、遠くから大音量で聞こえ、直後地平の向こうから、巨人がゆっくりと身体を起こし立ち上った。 まるでガリが、稲妻の巨人になった時の再現だ。ドスはさしずめ土の巨人と言ったところか。 かと思えば、クリムトが壁にめり込んでいる。 ジョンは空へ落ちていった。 ゲッツは、あんぐりと口を開けて固まってしまった。 バグってんだろ、これ。 クリムトが壁の中から呟いた。 「いしのなかにいる。」 見ればわかる。 (これはまやかしじゃない……現象だ。だったら!) (すべては空に溶け行く……、五蘊皆空。) ゲッツは風のさとりを展開した。 オブラートのように薄い水色の羽衣が、ゲッツの体に巻き付き、奇跡を発現させる。 実体が空に消え、発狂空間からの働きかけが、ゲッツの体を透過していく。 行き場のなくなった現象は、その帳尻を発狂空間を満たすエネルギーに求めた。 常夜の国、ここはアコードの体内だ。 どれほどガワをきれいに見せかけても、黒い死の泥で造られたイミテーションなのだ。 直後、中庭がグラグラと揺れ、周囲が黒い泥に変わっていく。 ゲッツは周囲を見渡した。 ゲッツのすぐそばに、2人はいた。 黒い泥に絡めとられている、まるで底なし沼にはまった哀れな生き物だ。 ゲッツが気合をこめて泥を睨みつける、衝撃波が泥を吹き飛ばした。 ジョンとクリムトが、黒い泥から辛くも抜け出す。 2人しかいない。 「ドスさんがいないぞ!」 慌てたゲッツがそう叫ぶと、ジョンが周囲のフォースを探る。 「フォースはゲッツの隣から感じられる……。」 「どこにもいないって!」 ジョンが何かに気づいた。 「そうか、階層がズレているんだ。だったら。」 ジョンがまた剣を抜き放った。 愛の情念を剣に乗せて一閃、空間を斬り裂く。 ここにきて無想剣生が便利技と化し活躍しだした。 果たしてゲッツの隣に、ドスはいた。 発狂空間の摩訶不思議な力学によって、違うレイヤーに移動させられていただけだ。 ドスが手を伸ばし、ゲッツが握る。 ドスの手は暖かい。 これで同じ階層に繋がった。 「皆、手をつなごう!」 ゲッツの呼びかけにクリムト達が即応し、全員で手をつなぎ、円陣を組んだ。 既に擬態は解かれ、黒い泥の海が周囲を満たしている。 まるで底なし沼のようだ。 足が、徐々に泥の中へ埋まっていく。 ジョンが口を開いた。 「フォースを探知していて、気づいたことがある。」 「泥の下にいくつもの負のフォースがあるのを感じた。」 「これを潜るのか……、ぞっとしないな。」 ドスがぶるりと背を震わせた。 「大丈夫、風のさとりが守るから!」 風の巫女エア=フェアリーの遺したさとり、これがなければ何回死んでいたかわからない。 ゲッツはふと、フェアリーのことを思い出した。 馬鹿な事ばかり言ったりやったりして、見ていて飽きなかった。 知らないところで、何度も助けてくれていた。 たった一人の相棒。 (フェアリー! 力を貸してくれ!!) スピリットオブウィンド。 フェアリーがゲッツの魂に刻んでいったチャンネルを通じて、風のさとりが顕現する。 風の膜が4人を包み込む、これで発狂空間の干渉はうけない。 「行こう、行ける!?」 ゲッツが3人の顔を見た。 ジョンが真っ先に応える。 「いつでもいい。」 ドスが、頭を振って怖気を振り払うとにっこり笑った。 「俺も……、へへへ、この年でこんなこと言うのこっぱずかしいけど。」 「いいもんだな、手をつなぐのって。暖かくってよ、なんだか勇気がわいてくるみてえだ。」 ドスの素直な言葉に、皆はにかむように笑った。 束の間、胸中に暖かい火が灯る。 「行けるぜ、こんなことでビビってたら、カミさんにケツを蹴られちまう。」 「行くぞォ!」 ドスが覚悟を決めると、クリムトが閉めた。 「行こう、皆が、皆の一番大切なもののために、今は戦おう。」 一番大切なもの、それは愛だ。 失われた愛のために、今を生きる最愛の人のために、愛の教えで弱き人々を救うために。 その向き先はバラバラだが、皆の想いはひとつだった。 すなわち、愛にすべてを。 風の膜に包まれた4人は、ゆっくりと黒い泥の下へ潜っていく。 泥の下は、まるで深海のように暗黒と静謐で満たされている。 ジョンの感知した負のフォースに向け、どんどん沈降していく。 ゲッツは歯を食いしばる。 黒い泥の正体は、蓄積された死の概念だ。 この泥に触れるだけで、常人であれば正気を削られていく。 風の膜で遮断しているにも関わらず、ゲッツは精神が疲弊していくのを感じた。 (……。) ザザザッザザッザー 父はいつもぼんやりとしていた。 母は、あまり自分のことをよく思っていないようだった。 食卓はいつも冷めていた。 父が死に、母はすぐに再婚し、子供ができた。 養父は、自分のことをいないように扱った。 母は、自分のことを嫌っているようだった。 弟は、弟は、自分を慕っていた。 食卓に俺の居場所はなかった。 それが辛かった。 化物が村を襲った時、自分は逃げた。 養父も、母も、弟を守ろうとした。 自分は逃げた。 弟は、自分を慕っていた。 走って逃げた。 生きたくて生きたくて走った。 後ろから弟の泣き声が聞こえた。 直後に魂が凍えるような絶叫。 その声はいつまでもいつまでも自分を追ってきた。 夜毎眠るのが怖かった。 あの絶叫が聞こえてくるような気がした。 目が覚めたら、あの夜の続きから始まるんじゃないかと、 恨みに思った弟が自分を殺しに来るんじゃないかと思って涙を流した。 朝の陽ざしに目を覚ますと、いつも悲しくなった。 俺は、生まれてきてはいけなかったんだ。 シリウスは、俺を守ってくれた。星の名前を教えてくれた、 いつしかシリウスに、母の面影を重ねていたのかもしれない。 別れは悲しかった、両親のものよりもずっと。 強さを求めて、シリウスは神の山を目指した。 そこに、俺という存在は重荷だったんだろう。 強さを求めるようになったのは、シリウスと別れてからだ。 強くなればもう一度シリウスに会えるのではないか、そんな子供の浅はかな考えだ。 シリウス、もう生きてはいまい。 ステルメン先生に出会えたのは、自分の一番の幸運だった。 素晴らしい人だった。 自分が、曲がりなりにも人がましく生きていけるのは、先生のおかげだ。 時に厳しく、時に優しく、接してくれた。 戦いの技術だけではない、生きる術を教えてくれた。 先生とは、ああいう人を指す言葉なんだろう。 時々、とても悲しそうな目をして、俺を見ていた。 俺に、誰かを重ねて見ていたのだろうか。 俺がシリウスに、母を重ねて見ていたように。 もう、それを知る術はない。 それが無性に悲しい。 (ここでみずをのむ。) ゲッツは、冷静に己の心を俯瞰していた。 何者かが自分のこころの裡を探り、何らかの干渉をしてきている。 (アコードの、恐らくは精神攻撃だ。) (だが、お前の突こうとしているその心の隙は、既に俺達が36京時間前に通過した場所だ。) ガリとゲッツのこころの世界。 二人で旅した永遠にも思える時間は、多くの悲しみや葛藤を溶かした。 この程度ではもう、こころは揺るがない。 見ればジョンも、クリムトも、ドスもこの攻撃を既に跳ね返していた。 皆精神的にも大人なのだ。 (五蘊皆空で逆流させる、次はお前がこころを探られる番だ。) 瞬間、4人は彼女の記憶を垣間見る。 ザザザッザザッザー 施設で、一匹の豚を飼っていた。 情緒教育のためというお題目だったかな、名前は……もう思い出せない。 人懐っこいやつで、昼間はよく施設の子と仲良く遊んでいた。もちろん私も。 疲れると、日陰に移動して遠くから眺めた。 無尽蔵の体力で駆けまわる、たいして広くもない箱庭の中を彼らは無邪気に駆け回っている。 その光景は、ひどく私を感傷的な気持ちにさせた。 己の遺伝子をヒトに明け渡して、都合のいいように作り替えられたキメラ。 何もそれは、豚だけではない。 私を含む施設の子供たちは、優秀な遺伝子を組み合わせて作ったデザインベビーなのだ。 人より優れた容姿と能力を持って生まれた私たちは、その能力を磨き上げるために施設で育てられる。 施設の生活は、AIに管理されていて、適度に負荷がかかるのを除けば快適だった。 私たちに親はいなかったが、それを除けば恵まれていた。 ここで超高度教育を受けて育った子供たちは、やがて帝国を支える屋台骨になる。 それしか選択肢はないし、その生き方に否やもない。 決して用意された道から外れたいと思ったわけでは……。 豚……、豚がある日突然いなくなった。 どうも施設の用意した、食育のための教材だったらしい。 その豚は、4日後にカレーの具材となって私たちの前に現れた。 残忍なサドの変態クソ野郎が、施設にいたのだろう。 家畜とペットの違いもわからない、ただ子供に精神的ショックを与えたいだけの変態クソ野郎が。 皆泣いた。 泣いて、泣きながら食した。 私は……。 あの日から、私は何か……、世間とズレを感じるようになった。 彼らは、私と同じ人間なんだろうか。 泣きながら豚を食し、次の日には笑顔さえ見せていた、彼らと私は。 そも、人間とは何なのだろうか。 命は、どこから来てどこへ行く? 死が逃れられないものなら、生きることに何の意味がある? 答えは見つからない。 ただ、寄せては返す波のような悲しみだけが、私の心に残り続けた。 何日もふさぎ込み、ついにはAIのカウンセリングを受けた。 精神に難あり、それがAIの下した診断。 私の居場所は、あの日彼らを遠くから眺めた日陰に移った。 世間とのズレは、第二次性徴を迎えて決定的になる。 こころと身体の乖離は、思った以上に私を不安定にさせた。 そんな、心と体がぐちゃぐちゃになっていた頃、私は彼女と出会った。 タールのような艶のない黒髪に、絹のすぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ すぐにけせ  「づぅっ!」 全身に鋭い痛みが走ったショックで、4人は体を強張らせた。 特にドスのものすごい握力がやばい、左手が潰れるような痛みに、ゲッツはさらに体を引きつらせる。 ドスに右手を握られていたクリムトも涙目である。 4人の意識が現実に引き戻される、周囲は相変わらずの黒い泥だ。 「今見えたのは、常夜の王の記憶なのか。」 ドスが呆然と呟いた。 「ほんのちょっとだけど、彼の……彼女のこころに触れた気がする。」 「道を外れた痛みや苦しみ……僕には既知のものだ。」 「明らかに救いを求めている。だが、『永遠の今』では、救われないだろうね。」 「彼女に必要なのは理想の世界なんかじゃない。」 「拙僧には彼女の気持ちが、よくわかるんだ。」 クリムトは、言い終えると切なげにため息をついた。 救い、アコードにとっての。 それは、世界律『永遠の今』を発令させた先の世界にはないだろう。 そんなことぐらい、ゲッツにだってわかる。 「本当に求めているのは、永遠の今でも死者の楽園でもないか。」 「なら何を?」 ドスがしみじみと呟いた言葉をゲッツが拾った。 アコードの本当の望み、そこにこの戦いの突破口があるような気がするのだ。 「素敵な彼とか?」 ジョンがケケケと笑いながら、ゲッツを指さし言った。 ゲッツの背筋に怖気が走り、全身に鳥肌が立つ。 「無理無理無理無理!」 声が裏返ってしまうくらい全力のお断りである。 ゲッツはノンケなのだ。ホモはノーサンキュー。 いけて友達まで。一緒にスーパー銭湯に行くのは無理。 ドスとジョンが笑った、クリムトは何故かほろ苦い顔をしている。 そも、Cダッシュや、分隊長、中隊の仲間を殺した。遡ればゲッツの故郷を滅ぼしている。 まさに宿敵である。 とてもではないが許すことはできなかった。 「冗談はさておき。」 話の腰を折ったジョンが再び話を戻した。 「底が近い。下に大小様々なフォースがお集まりだぜ。」 それはつまり。 クリムトが門を潜る前に想像していた、戦いに次ぐ戦いが迫っていることを意味していた。 ドスがにやりと笑った。 「そりゃいい。さっきから絡め手ばかりで攻めてくるもんで、ほとほと嫌気がさしていたんだ。」 「多数の敵には、ガイアソードの伸縮自在剣が有利だ。任せてくれ。」 ガイアソード。この超質量の石剣は、ドスの意思で伸縮する。 ほんならガイアソードはどんくらい延びるかわかる? しゃァない、よう分かるようにキミらの長さで教えたげるわ。       1  3  k  m  や ピンとけぇへんやろ、数で聞いても。 閑話休題。 ドスの頼もしい言葉に、ゲッツ達は心の底から安堵した。 ドス。ホモス最強の戦士にして大地の申し子。 おそらくこの4人の中で最も強いのがドスだ。だからこそ、こと戦いにおいて彼の言葉は誰よりも響く。 4人は戦意を漲らせた。 「こと斬ることに関しては俺に任せろ、大巨人だってぶった切って見せらぁ。」 ジョンが続く。 刃物を用いた近接戦闘で、ジョンに勝る者はいない。 「拙僧も微力を尽くすよ。」 クリムトが控えめに言う。 彼の戦闘力は、聖衣込みで8000フォース、一芸に特化しているわけでもない。 だが、彼の物事の本質を見抜く目、直観は頼りになる。 何よりこの戦いの趨勢を左右するのは、理力=愛になるのではないかと皆何となく予感していた。 ならば、愛の第一人者である彼の存在は素直にありがたい。 案外、クリムトの説教で、常夜の王も改心するかもしれない。 同じ苦しみを共有する者同士のシンパシーみたいな感じで。 「何かあったら、俺のそばに来てくれ。どんな攻撃からでも皆を守るよ。」 風のさとりの力は、もう周知のところだ。 あらゆる働きかけを弾き、逆流させるその奇跡は、もはや魔法の域にある。 この即席パーティーでゲッツは防御の要を担っていた。 そして未だゲッツの身の内で眠る神の器。 ゲッツの死、それは人の世の終わりを意味する。 決して負けるわけにはいかない。 4人はしばらく見つめ合い、深くうなずき合う。 短い時間ではあったが、確かな絆がそこにはあった。 それぞれ903フォース、1800フォース、8000フォース、53000フォース。 常夜の王からしたら、吹けば飛ぶような数値かもしれない。 だが、この場にいる誰一人としてそれを不安に思うものはいなかった。 数値は、しょせん数値だ。 そしてフォースとは命の力、宿命の重さ。 ならばそんなものは大した問題ではない。 今大事なことは、宿業の軽重ではなく、これから何をするかだからだ。 泥の海を突き抜けた。 眼下に、天井のない鍾乳洞のような広大な空間が広がっている。 石灰石に似た地層に、青白く光る結晶のようなものがまだらに埋め込まれており、幻想的な風景を作り出していた。 遠くに、白い小さな城が見えた。 地底魔城メメントモリ、常夜の王の居城だ。 そして、城の前の空間を埋める、無数の黒く蠢く鬼たち。 ヨモツイクサの軍勢が横陣を敷いてゲッツ達を待ち構えていた。 (……いるっ!) 突如予感めいたものが、ゲッツを襲った。 ヨモツイクサの軍勢、あの中に火の魔将レギオンがいる。 青白い無数の火がゲッツ達に向かって飛んできた。 火矢だ。万を超える青い光が正確無比に飛来する。 だが、そんなものは当然風のさとりに阻まれる。即座に反射された。 逆流した火矢が、射手に殺到する。 あちこちでヨモツイクサが己の放った矢に撃ち抜かれて崩れていく。 だがまったく動揺がない。機械のような無機質さをもって、ヨモツイクサの軍勢は空いた穴を埋めていく。 まるで昆虫の様だ。 その時、クリムトが何かに気づいた。 ゲッツはクリムトの視線を追って、そこに赤いマントをつけた鬼を見た。 胸がいっぱいになる、我知らず叫んでいた。 「レギオン……ボトムっ!決着をつけよう!」 言葉は届いたのだろうか、赤いマントを身に着けた鬼は一瞬固まったかのように動きを停め、 すぐにヨモツイクサの群れの中に埋没した。 ゲッツはそれを見やると唇を噛んだ。 大地に足がつく。 4人は手を離すと、思い思いに距離を取った。 「ジョン、もうちっと離れてくれ、巻きこんじまう。」 「大僧正様、その辺りで、俺達のうち漏らした鬼を片付けてください。」 「ゲッツ、ぼ………防御頼む……。」 ドスが矢継ぎ早に指示を出す。 こういう時歴戦の雄の存在はありがたい。 やがて地鳴りが聞こえ、ヨモツイクサの軍勢が陣形を維持しながら駆けてくる。 接触までもう少しだ。 ゲッツは、理力でできた剣、マロウドの剣を創造し、両手で構えた。 「それじゃ、皆。気を付けて。」 最終決戦の幕が今切って落とされた。 2021/7/31