2022/1/25 終わらせるために文章で話を畳んでいたら途中で放り投げた話を回収できそうな気がして 手を出してみるんですが、枝葉のはずのその部分が雪だるま式に膨らんでその度に絶望して続きを書く気が失せてしまうんです。 あと少しに見えて遠いんですねえ。 すいませんでした。再開します。 ゲッツの風のさとりは、ポンポン使っているが実は地味にフォースを消費する。 ドスの地のさとりもそうだ。先ほどの砦もさくっと作っていたように見えて、その実かなりのフォースを消費していた。 世界を巻き戻すほどの奇跡ともなればコストも莫大なものに違いない。 「するとこれは、傷を癒す時間稼ぎのための布陣、なのか」 ゲッツが呟く。 クリムトとジョンはその可能性を少しの間検討していたが、結局は推測なのだと考えを打ち切った。 「かもね。でも、ここでわかることは何もないよ」 だから、今は体を休めようとクリムトが言った。 大体、世界を巻き戻す荒業を使う者が最低一人はいるのだ。 この先の事を考えたところで巻き戻されたら終わりだ。 一瞬一瞬を懸命に生きる以外にできることはない。 何という綱渡りだろう。 確かなものはまるでなく、全てが不安定だ。 ゲッツは思考を打ち切ると目をつむる。 脳裏を、幼き頃によく見た父の寂し気な横顔がよぎった。 また思考が生まれる。 もし目が覚めた時、世界があの頃に巻き戻ったとして。 何か、変えられるだろうか。 そんな益体もないことを、ふと思った。 あれからどれだけの時間が経っただろうか。 動きがあった。 戦場に2体の鬼が現れたのだ。 紫色の長衣を身にまとうも、ヘラクレスのごとき肉体美は隠しきれない。 銀色の髪を肩口まで流した美丈夫。 自然体ながら、右手は腰に佩いた片刃剣の柄に触れ、切れ長の鷹目は油断なく周囲を睥睨している。 生まれた時代が悪いのか。 そも人の、いや、あらゆる生物は苦しみ抜くために生きているのかもしれない。 イアハの一生、それは戦いに次ぐ戦いだった。 その合間にある、一瞬の安らぎ。 イアハにとってのそれは母と兄、家族と庭で過ごす時間だった。 好物のいももち。 やはり生まれた時代が悪かったのかもしれない。 悪意と謀略によって歪められた家族の絆。 骨肉の争いを経て、戦いに次ぐ戦いを越えて。 ついにイアハは常在戦場を体現し、狂気の剣王として戦場に君臨した。 イアハの一生は短かった。 その大半を戦場で鮮血に塗れて過ごし、それは、母の手で閉じられるまで続いた。 いや、今も続いている。 アコードの誘いに乗り、風の魔将と化して。 その隣に立つのは地の魔将リズミガル。 黒いおかっぱのような髪型、白いリネンのワンピースに、金の細工を施した腕輪と腰当てを身に着けた女。 右手には葦を束ねた杖を把持している。 一見たおやかでありながら、周囲を圧倒する覇気を纏う。 かつて古代世界の大半を支配した女覇王。 神の山に潜む悪意ある上位存在に気づき戦いを挑むも敗れ、呪われた。 その呪は絶え間なく続く激痛。 間断ない歯の痛みに発狂して暴れ狂った。 束の間の正気に見たものは崩壊する無人の都。 リズミガルは失望し、自らの手で命を絶った。 死の間際、振り切れなかった未練。 その心の隙をアコードは見逃さなかった。 魔将2体が戦場を眺めていた。 「レギオンめ、戦巧者を気取っておったが……」 イアハがヨモツイクサの軍勢のお粗末な突撃を見て鼻で笑った。 「大したことはない。こと突撃にかけては俺の独壇場だ」 「お前はそれしか能がない猪武者だったものな」 へらへらと意地の悪い笑みを浮かべてリズミガルが甲高い声で嗤った。 「己の力を頼りにひたすら押して押しまくる。お前とまみえる戦場は、楽ができて好きだったぞ」 「……何だと?」 「怒るな。過ぎたことだ」 何を隠そうこの二体、同じ時代を生きた同期なのである。 若干、いやかなりリズミガルのせいでイアハの人生が歪んでしまったが もう終わったことだということにして、大分前に二人の間で話はついた。 だが、それはそれ。元不倶戴天の敵に煽られればこめかみに青筋も立とうというもの。 「やつもまた葛藤を抱え戦っておるのよ」 「……せがれだったか。あのゲッツとかいう」 魔将会議withネミリにおいて発覚した事実。 神饌料理ゴッデスを作ることのできる当代料理人ネミリ。 そのネミリのいい人、ゲッツ。 彼は火の魔将レギオンの息子だった。 イアハも内心驚いたものだ。 何せあの面からは想像できないほどの美丈夫だ。 間違いなくあの容姿は、父親からもたらされたものではあるまい。 (ゲッツの剣筋……粗削りだが見どころがあった) (何より目がいい、尽きぬ闘志……いや、泥臭く生き残ろうとする強い意思を感じさせた) 「親父には似ても似つかぬ良い男よ」 イアハのゲッツに対する好感度は割と高い。 イアハの命を奪ったいももち。 そのいももちで、ネミリはイアハの心を救った。 そして、美食の壁で見た。 ゲッツが超常の力を用いて死を待つばかりだったネミリを復活させたのを。 その後二人で何か言葉を交わしていたようだったが、それ以上は無粋と立ち去ったのだった。 ゲッツへの好感度が高くなるのは当然と言える。 「ほお、それほどの男かえ」 「私はお前ほど目が良くないから、美醜まではわからなかったが……」 リズミガルが食いついた。 彼女はネミリよりも面食いなのだ。 「お前の話を聞いて、がぜんゲッツという男に興味がわいてきたぞ」 「だが、男の言ういい男ほど当てにならぬものはないからな」 「かつて私の縁談に東国のさる男に白羽の矢が立ってな、なんでも世に二人といない美丈夫とかいう触れ込みでな」 「当時私の腹心に中々見どころのある男がいたのだが、そやつに偵察にいかせてな。報告させてみたらもう大絶賛よ」 「男が男に惚れるとはこういうことなのでございますな等と言っておったわ」 「だが、実際見てみるとこれがむくつけき大男よ、私の趣味ではない」 「これだから男の言ういい男はあてにならんのだと大いに憤慨したものよ」 イアハは聞き流した。 この女は話がうるさい。 話の流れを変えるべくイアハはリズミガルに呼びかけた。 「わかっていると思うが」 「うむ、奴の言う我々の自由とやら、それはあの者らに近づけば霧散する」 「常夜の王を守る鬼と化して、戻れんだろうな」 リズミガルは鼻を鳴らした。 「アコードは変わった……性別がとかそんなことではない。何かが決定的に変わってしまった」 2022/1/26 リズミガルにはアコードの何が変わってしまったのかおおよその察しがついていた。 伊達に長生きはしていない。 長い人生の中で何度か人が変わるところを見てきているのだ。 「頭部に強いダメージを受けた者、大病を患った者、強い精神的ショックを受けた者、痴呆と色々いるが」 「あれは、そのどれにも当たらんな」 元あったものに何かが加わって変わったのではない。 リズミガルは続けていった。 「自己同一性という言葉を知っているか」 イアハは肩を竦める。 リズミガルはため息をついた。 教養のない男と話をするのは退屈だと思っているのだ。 「私が『私』であること、それが自己同一性だ」 「何を当たり前のことを……」 「ならば私とは何だ?今の私と、少し前の私。それは果たして本当に同じ私なのか?」 「哲学者たちはよく、その疑問に対する答えを河に例えた」 『ゆく河の流れはたえずして、しかももとの水にあらず』 『同じ河に二度と入ることはできない』 流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいてそこを流れる水はもとの水ではない。 河の流れは変わらない、だがそれを構成する水は刻一刻と変化していく。 前者は個々の事象は変化していくが、その総体は永久不変であると捉えている。 だが後者は違う。うまく言えないが、要するに万物は流転するというわけだ。 「『私』は、どちらなのだろうな」 「私は、前者であると思う」 「イアハという人間が、子供から大人に成長するとする。それは間違いなくイアハだろう」 「では、イアハとは何だ。よし、イアハを構成する要素を抜き出すとしよう」 「イアハは男だ」 「イアハは風の魔将だ」 「イアハは、剣の達人だ」 「イアハは、いももちが好きだ……こんなところかな」 イアハは仏頂面になった。 俺はそんなに単純な男ではないとでも言いたげだ。 そんなイアハをよそに、リズミガルは一呼吸おいて言葉を続ける。 「ではこれらの要素が変化し、あるいは失われた場合、イアハはイアハではなくなるのか?」 「そんなわけあるまい。何があろうと俺は俺だ」 「ならば、これらの要素はイアハをイアハたらしめるものではないのだ」 「私を『私』たらしめるものとは何だ……それは記憶にあるのではないかと私は思う」 「記憶……」 「経験と言ってもいい。それらは己の裡に積み重なり、例え忘れたとしても」 砂のように堆積して、必ずや『私』を象るはずだ。 「だが、アコードはそれがない。まるで丸ごと消えてしまったようだ」 リズミガルはそこまで言うと不意に黙り込んだ。 (うるさい女だ、やっと黙ったか) うるさいから話を変えようとしたのに、結局またわけのわからないことをペラペラと 喋らせる結果になってしまった。 (だが、記憶か……思い当たる節がないでもない) 地上での要件を終え、常夜の国に戻ってきた際にアコードと遭遇してイアハは衝撃を受けた。 性別が変わっていたことにではない。 人変わり〜もはや別人と言ってもいい〜していたことにだ。 アコードの語る言葉のひとつひとつに違和感を覚える。 以前と同じ言葉を同じように喋るのに、受ける印象がまるで違う。 かつてあった何らかのバックボーンを感じなくなった。 身もふたもない言い方だが、すべての言葉を薄っぺらく感じるようになったのだ。 以前に比べると、まるで張りぼてで造られたかのような。 私を構成するものは、刻一刻と変化していく。 ならば同一する私はいないということになるのか。 リズミガルは、私の同一性を保証する鍵は、記憶にあるという。 色々言っていたが、イアハはもっと単純にアコードの変化をとらえていた。 (やつの中で何かが、やつという存在を上から下まで貫く一本の芯、それが抜けてしまったのだ) イアハはそう解釈した。 その芯はリズミガルの言うように記憶なのかもしれない。 ただ単に見た目の印象が変わって言葉に重みを感じなくなっただけの可能性もある。 だが、そんなことはイアハにとってはどうでもいいことだ。 (俺は、やはり戦いが好きだ) 例えそれが時代に迫られて選択した苦渋の道だったとしても。 戦いに次ぐ戦いを経て至ったイアハの哲学に似た何か。 それがイアハにもっと戦えと囁くのだ。 (それも良い。悪鬼羅刹と化して戦うのもいっそ小気味良い) 脳裏に一人の小さな剣士が浮かぶ。 無想剣生。 凄まじい剣だった。 修羅では決して至れない境地があることを、あの一合でイアハは悟った。 だんだんとイアハの口角が上がり目は血走っていく。 沸々と闘志が起こる、イアハは衝動のままに笑った。 「ファファファファ!」 「うるさい。キショい笑い方をするなイアハ」 「……」 (兄上、母上、お許しくだされ。イアハは、やはり人にはなれませぬ) 2022/1/30 地鳴りが徐々に近づいてきている。 イアハは、いよいよ時が来たのだと悟った。 自分の魂は、常夜の王と繋がっている。 その繋がりから流れ込む、尽きぬ力。 不死身の体で、どうして真に戦っていると言えるのか。 そんな自分が戦いを好きだなどとどうして言える。 そのような思いを全て呑み込んで、イアハは闘志を噴き上げた。 細かいことは、もう考えない。 衝動の赴くままに、ただ一剣あるのみ。 イアハは片刃の剣を鞘から引き抜くと、そのまま鞘を地に放り投げた。 己の意思で剣を振るえるのは、これが最後だろうという予感がある。 ネタバレすると七英雄の本体みたいな感じになる。 鞘はもう、必要ない。 「なんだ、もう行くのか」 リズミガルが声をかけるも、イアハはもう顧みることはなかった。 そこにいるのは戦いの予感に身を焦がすひとりの修羅だ。 はじめからそうだった。 イアハにとっては戦いこそがレゾンデートルなのだ。 「……」 「次に会うときは、お互い常夜の王の部品としてかな。まあ、精々最後の戦いを楽しむのだな」 「……」 「さようならイアハ」 リズミガルの別れの言葉に、しかしイアハは無言で駆けだした。 小走りに。 やがて跳ぶように駆けていく。 目指すはあの、亜人の剣士だ。 ヨモツイクサの群れが目前に迫る。 「邪魔だ木偶ども!」 駆ける勢いのままに数十体を斬り飛ばしたが、途方もない数のヨモツイクサに やがて足が止まる。 イアハは舌打ちを一つすると跳躍。 そのままヨモツイクサの上を跳ねるようにして再び駆けだす。 遠くに無骨な砦が見える。 どういうからくりか、気づけば秀吉が作らせたという一夜城もかくやという堅牢な砦ができていた。 砦の周囲を超質量の巨大な鈍器が音を置き去りにする速さで振るわれ、その度にヨモツイクサがほこりのように宙を舞っているのが見える。 この鈍器を振るっているやつはとんでもない化物だが、探しているのはこれではない。 探しているのは頭から尻尾まで剣でできているような、小柄なマジナ人の剣士だ。 (……いる!) イアハの獣じみた感覚が、何かを捉える。 遠くに、ヨモツイクサを最小の動きで切り刻む剣士が見えた。 カチリと頭の中で音がし、そこでイアハの意識は切り替わる。 人間としてのイアハはぼんやりとした輪郭となり、どこか遠くにあるようだ。 残るは死せる修羅、常夜の王を守る一匹の剣鬼である。 だがそれが何だというのだろう。 元より己の意思でなった修羅。 鬼と化したところでやることは何も変わらない。 ならばこれは、己の意思である。 鬼は、足場となるヨモツイクサの頭を踏み抜き高く跳躍すると、弾丸のような速さで剣風のたなびく中心へ飛び込んでいった。 2022/2/2 リズミガンは河のほとりで生まれた。 彼女は生まれた時からどこか人と違っていた。 誰よりも賢く、強い力を持っていたのだ。 自然、リズミガンは周囲から一目おかれ、成人する頃にはリーダー的存在になっていた。 そしてリズミガンが台頭してからというもの様々な技術が花開いていった。 それは主に治水や灌漑の技術、天文といったすべて農作業に関係するものだ。 リズミガンは、豊かさを追求した。 それが幸福の源泉だと知っていたから。 リズミガンの生まれた地域では、人々は主に麦を作って暮らしていた。 川沿いの豊かな土壌のおかげで飢えとは無縁だった。 それは、リズミガンが台頭してからはより顕著となった。 だが争いがなかったわけではない。 豊かな土地は、外敵を常に呼び寄せる。 そして戦いとなれば、リズミガンの超人的な強さが物を言った。 畢竟、リズミガンは集団の長として担ぎ上げられるようになった。 あれはリズミガンが長となって幾度目の戦いだっただろうか。 敵味方問わず、戦死者がいつもより多く出た。 死者は河に流す。彼らの死生観によるものだ。 リズミガンは堤の上からその作業を見ていた。 河の流れは穏やかで、死者は葦で編まれた小舟に乗せられてゆっくりと流れていく。 河は、夕日に照らされて少し赤く見えた。 もしかすると死者の血が染めていたのかもしれない。 もう確かめるすべはないが。 その色が、リズミガンの胸を無性に切なくさせた。 穀物や資源の奪い合い、民族宗教の違い、争いの起こる原因は数多い。 (誰かが終わらせなくてはならぬ……) リズミガンは飢えとは無縁な豊かな土地に生まれ、豊かな家庭で育った。 だからかもしれない。人よりも情が深かった。 そしてその情は、同胞だけでなく敵にも向けられていたのだ。 敵はなぜ生まれる。 争いを無くすにはすべて敵を滅ぼすほかないのか? その日からリズミガンは考え続け、ある時ふと思った。 (敵を同胞に変えるのだ。豊かさを分け与え、同じ目線をもつ同胞に) だが、それには多大な時間がかかる。 その日を生きて迎えることは、人の寿命では到底不可能だろう。 絵空事も同然だ。 (だが、人にはそれが必要なのだ) (人の上に立つものは、何よりもまず理念を人々に示さなければならない) (そしてその理念は、常に人にとって最大の幸福を追求するものでなくてはならぬ) リズミガンの、王としての一大事業が始まった。 食糧の増産から始まる富国強兵、武力を背景にした近隣部族の統合。 それは争いを生んだが、理念という正しさに目をくらませた集団の歯止めにはならなかった。 河の流域に沿うように、リズミガンの王国は伸張を続けた。 リズミガンの体に異変が起こったのもその頃だ。 ある時を境に成長が止まった。 それは、人よりも遥かに大きなフォースを持つものに現れる特徴だった。 何かを成し遂げるために神が地上に差し向けた英傑の相である。 人々はそう信じた。 リズミガンも。 自分は人を最大幸福に導くために生まれたのだと、強く信じた。 そして王を神の如くあがめる国と、神のようにふるまう人間の王が誕生する。 彼らは豊かさと文明を飴に、武力を鞭にして異民族を懐柔、討滅して版図を増やしていく。 多少の軋轢は仕方あるまい。 一代、二代では解決しないかもしれないが。なに、万事時が解決してくれよう。 同じ文化を持ち、同じ言葉を喋る同胞となれば、いつまでも恨みを持ち続けることは難しい。 人とは社会性を持つ生き物なのだから。 リズミガンは己の良心の赴くまま幸福の源泉を拡張する一大事業に邁進する。 彼女の王国が幸福にした人間の数と不幸にした人間の数、どちらが多かったのかは明言を避ける。 また、彼女と彼女の王国のその後の事は、すでに描写しているのでここでは省略する。 ここまでつらつらとリズミガンの来歴を記したが、要するに何が言いたいのかというと。 リズミガンは本来とても情が深い、優しい女性だということだ。 とある親子の不和について、仲介してやろうと老婆心を出すくらいには。 暗闇の中、青白いぼんやりとした灯りが所々に灯っているような空間に朱色が時折ちらつく。 ひと際目立つ赤いマントをつけた鬼が精力的に動き回っている。 火の魔将レギオン、人の頃の名をボトムと言う。 レギオンは万を超えるヨモツイクサを操ってたった4人と戦っていた。 戦っているというのは違うかもしれない。 本気で戦っているのであれば、こんなに散発的にぶつけたりしない。 連日雪崩打つように途切れることなくヨモツイクサをぶつけてすりつぶす。 レギオンには迷いがふたつあった。 ひとつは、息子のルコンのことだった。 東域で傭兵王として大暴れしていたあの頃。 同盟軍との戦いに大敗を喫し、失意のままに戦場を去った。 財産はあった。 辺鄙な村で、地主と呼ばれるほどの土地を買い、人を使って毎日ぼんやりと暮らしていた。 妻となった女は、傭兵団を営んでいた頃いつの間にか傍にいて色々と世話をしてきた女だった。 美しい女だったが、レギオンはこの女が苦手だった。 おそれていたと言ってもいい。 (恐らくは俺の地位と力に魅力を感じていたのだろうが……) 月が必ず欠けていくように、人もまた栄枯盛衰が運命づけられている。 (自分が落ち目になった時、果たしてこいつは……) 女は廃業した後も自分に着いてきたが、いつの頃からかなんだか当てが外れたというような顔をするようになった。 以前のような甲斐甲斐しさはなくなり、犬のようにうっとおしく付いて回ることもなくなった。 レギオンはやはりそうだったかと落胆し、しかし心のどこかでほっとしている自分に気づいた。 考えてみれば結構なことだ。 自分と何かをつなぐ首輪の鎖。 その持ち手は、本来自分自身であるべきだ。 人は本来自由であるのだから。 さもなくば、立派な二本の足が泣こうというものだ。 その女との間に子供ができた。 子供が生まれた時も、レギオンはぼんやりしていた。 とりあえず、お疲れ。 女にそう言ったのを覚えている。 (本当に、俺の子なのか……?) 子供はレギオンの内心に関係なく、すくすくと育った。 自分とは似ても似つかない容姿。 女に瓜二つだった。 その事実にレギオンはほっとした。 女にも自分にもない特徴が現れるのではないかと、密に恐れていたのだ。 (まだ続けられる、我慢することができる。こののっぺりとした家族ごっこを) 子供はレギオンの内心に関係なく、父を求めた。 幼子が庇護者を強く求める心。 それは、レギオンが幼少のみぎり、いくら強く願っても叶うことのなかった思いだ。 幼いレギオンは早々に泣くことをやめ、歯を食いしばって泥をすするようにして生きた。 幼子が、幼いままでいれるほどやさしい環境ではなかったのだ。 夜中、天を睨みつけるように見上げて誓ったものだ。 (生きてやる……。このまま、何のために生まれたのかもわからず死んでやるものかよ……) あの日、満天の星が美しく瞬いていた。 だが幼いレギオンは、星を美しいと思うことはなかった。 それだけの情緒が育つ環境にいなかったのだ。 今レギオンの頭上に、あの日見上げた時と同じように美しいであろう星々が天に瞬いている。 夜更け、夜泣きが止まない子供に対し金切声をあげた女に辟易とし、 レギオンはだっこ紐で息と自分を結着して防寒着を息ごと羽織ると、外に出ていたのだった。 片手で子供をあやしながらレギオンはぼんやりと言った。 「お前、俺がいなくなったらどうすんだ?」 子供は泣いた。 レギオンは、指で子供の頬をつついた。 マシュマロのようだ。 心に何かが満ちていく感覚に、レギオンは戸惑った。 ルコンはすくすくと育った。 自分のように栄養失調でガリガリになることもない。 むしろ発育はいいように思えた。 元気に外を駆けずり回り服を泥だらけにして帰ってくるのが最近の日課だ。 どうも裏の山林で遊んでいるらしい。 余裕があって結構なことだ。 ある時、ルコンがあちこち擦りむいて家に帰ってきた。 ガキ特有のたどたどしい説明を聞くに、どうやら裏の山林で猪に遭遇して命からがら逃げてきたらしい。 女はぼろぼろになった服を見ると眉をしかめ、ルコンを叱っていた。 耳障りな金切声。 レギオンは、ぼんやりとそれを見やりため息をついた。 胸中を渦巻く不快なざわめき。 手斧はどこにやったかなと、ぼんやり思った。 翌日レギオンは手斧を腰に下げ、早朝から裏の山林に入った。 息子が着いてきたがったので、それじゃあとレギオンが手斧を渡そうとすると怯えて下がった。 その様子がなんだかおかしくて笑ってしまう。 さっさと片付けてしまおうと、足早に林へ入っていく。 ふと振り向くと、泣きそうな顔をしてルコンが立ち尽くしていた。 2022/2/25 すいません。コロナにかかっちゃって療養中でした。 今のところ後遺症はありません。たまに左胸がちくりと痛むぐらいです。 太陽が中天に差し掛かる頃にはすべてが片付いた。 猪が1頭、ずた袋の中に入っている。 レギオンは、ぼんやりと猪を仕留めた時のことを思い出していた。 猟師は地面に残されたフン等の痕跡をたどって獲物を追うらしいが レギオンにそんな技能はない。 ここは、人の手が入っている。 通行に邪魔な木、毒性の植物、危険な獣はレギオン手ずから排除していた。 ガーデニングをするような気安さで。レギオンの趣味と言っていいだろう。 ここは管理された山林で、言うなればレギオンにとっての庭なのだ。 レギオンが庭を適当にぶらっと歩いていると、不意にレギオンの左側面にある藪からガサガサと音がした。 ついでシューシューと空気の抜けるような音。 獣の発する威嚇音だ。 レギオンはワッと胴間声をあげた。 レギオンの腰ほどの大きさの獣とそれより小さい獣が、声につられて飛び出してきた。 大きいのが1頭、小さいのが3頭。 子連れだったのかとレギオンが気づいた時にはもう手斧で親のド頭をカチ割っていた。 獣は猪だった。ルコンを追いかけまわした奴かはわからない。 親を殺されたウリ坊は無言で逃げ散っていく。 レギオンは理力の斧をウリ坊に投げつけようとして、少し考えてやめた。 ルコンの顔がちらついて、自分の手で殺すのを思わず躊躇したのだ。 だから幼獣の命運を天に任せた。 (だが、幼い獣が果たして生きていけるのか?) レギオンがぼんやり考えている間にウリ坊は藪の中に消えていった。 もう音も聞こえない。 (野生の獣は、シンプルでいい。) 生存し続けること、そのために最適な行動をとるようにできている。 ヒトのように、面倒な事を考えない。多分。 レギオンはふと、己の境遇を思った。 恐らくは、東域の小国家群で生を受け、戦乱に巻き込まれた。 気づけば親もおらず、一人で生きていた。 親がなくとも子は育つ。 自分が、そうだったように。だが……。 レギオンは、ルコンのことを思った。 手斧を渡されそうになった時の、あの怯えた顔。 (あんなに憶病で、あれで何かあった時果たして一人で生きていけるのかねえ) 家が見えてくる。 家の前に立っている人影を見てレギオンは、ぼんやりとした思考を打ち切った。 ルコンが待っていた。 己の姿を見て、駆け寄ってくる。 レギオンはなんだか照れ臭くなって、左手でルコンの頭を乱暴に撫でた。 おっといけねえ。獣臭さが移っちまうかな。 ルコンは、背中に抱えたズタ袋を見て、何かを期待するような顔でレギオンを見ている。 レギオンは苦笑して言った。 「今夜は焼肉だぜ」 歓声があがる。 動きが変わった。 驚異的な強さを持つ4人の戦士たち。 彼らの動きが消耗を抑える守りの姿勢から、一転して大攻勢に変わった。 勝負に出たのだ。 ピンクの光弾や円錐状の岩、理力の剣が乱れ飛ぶ。 研ぎ澄まされた剣技や超質量の鈍器が振り回され、瞬く間に中隊規模(300体くらい)のヨモツイクサが煤と化していった。 レギオンは舌打ちをした。 万を超えるヨモツイクサだが、当然無限にいるわけではない。 死せる水と汚泥から生じるヨモツイクサ、その生産工場は現在稼働を止めている。 すべては常夜の王の不調によるものだ。 (イデア体…永遠不変ではなかったのか?) アコードがかつてレギオンに言ったことがある。 我々のいる世界はイデア界の影絵のようなものだと。イデアこそが永遠不変なのだと。 レギオンはその時の会話を思い出していた。 いいかい。レギオン。世界は二つに分かれているんだ。 我々がいるこの不完全な、感覚の世界。 そして永遠なるイデアの世界。 感覚の世界は全てが曖昧もこで、永遠なんてない、全ては流れ去る。 私たちの感覚は、一人一人異なっていて、同じものを見ても同じようにとらえることができないから。 たとえばここにある地球儀の球の部分。君の位置からだと、どう見える。真円に見えるかな。 ん、地球儀?これはね、私たちヒトが発生したはじまりの世界。それを模したものなんだ。 実際はこんな丸くないけどね。 ……話がそれちゃった。えーっと、君の目にはこれがきちんと丸く見えるって話だったね。 でもね、私の目には少し歪んで見えるんだ。ふふふ、実は前に落っことしちゃってね。 ほら、ここのところが歪んでしまっている。 このように感覚では、決してたしかな知を得ることはできないんだ。 でも、我々は円が360度であることを知っている。知ってるよね?この世界の文明レベルであれば庶民でも知っているはずだもの。 そう、360度。理想の円は永遠に360度。これはたしかな知、エピステーメーだ。 だから私は、数学が好きなんだ。 たしかな知を通して、イデアに繋がれるから。 我々は、理想『イデア』の話をする時のみエピステーメーを得ることができるんだ。 大昔の哲学者は、イデア界にはすべての永遠の型があると言った。 イデア界。永遠なるもので構成された世界。どんなに美しいところなんだろうね。 …私は、死のイデアを捉えた。 そして憑依することに成功したんだ。この意味がわかるかな、レギオン。 私の体は、イデアでできている。 永遠を手に入れたんだよ! ……この永遠をみんなと共有したいんだ。 感覚という不完全なものを脱ぎ捨てて。 イデアを通じて、私たちは真に理解し合える。 それが私の夢。私のマニフェスト。 永遠の今。 この時レギオンは、師であるプラトンを批判するアリストテレスのような感想を持った。 世界が二つなどと。俺は信じない。感覚がすべてだ。 結局、そういうことだったのだろう。 いつも通り幻想が、現実に打ち破られたのだ。 レギオンはそれを少し残念に思った。 覚めない夢を、たまには見せてくれよ。